イマージュよりオマージュ 『とどのつまりの有頂天』感想
『とどのつまりの有頂天』
前から思ってたけど、この人の漫画、誰が誰か分からなかったり、誰のせりふか分からなかったり、大勢いるときに、ごちゃごちゃしている
今どこにいるのか見失うこともある
何話かの冒頭主人公が猫崎さんのことをぼーっと考えている、モノローグ
このとき場所は示されていないが、猫崎さんが肩によりかかってきて我に帰ると、何人かで牛車(ぎっしゃ)(なぜ?)に乗っていて、「レコード部をぶん殴りにいくよ!」(なぜ?)みたいなことを誰か(元々キャラが判別しにくいうえに、デフォルメされている)が言って、牛車(ぎっしゃ)がぶっ飛んで、海(唐突)に到着する。
海に着いたらば、昭和歌謡レコード部の二人が働いていて(?)、小さな1コマの中で、またしてもデフォルメされた数人が、二人に色々文句をまくしたてる。
すると、次のコマで、レコード部の2人が土下座の体勢でうずくまっていて、それぞれの頭の上にアルミ缶が置かれている(ちゃんと読むと、特に文句のない主人公が差し入れに持ってきたジュース)
その後に、レコード部の二人がここで海の家建設のバイトをしていたことが分かる。
読んでいても分かりづらいものを説明するのは難しいですが、ここなどは、ごちゃごちゃしていようが「速い」のであり、実に面白い
総合タワーリシチでも、唐突に焼却炉が出てきてそういうギャグなのかと思った(焼却炉がある場所に移動していたことがわかりづらい)ほどで面白い
あと、主人公の実家にみんなで行っても、主人公の親とか家族が一切出てこない
話題にすらあがらない
この漫画には、男性が出てこない
いつもこういう漫画で、実家に行くと、親とかが出てきてしらけた感じになる
なぜなら、こういう漫画の中で、有象無象(eg男の人や年配の人etc)の絵が、(目的を)持たざる絵になってしまっていることが多い
主要人物(カプ事案のある)だけが純正(がんこ)の絵で、目的を持ち得る、そこのあいだで完結してほしいのである
それ以外がページの中に入り込むと、不純(がんこ)になって、しらけた感じがする
技術上その人/物にHomage(オマージュ)を与えられないなら、描かない方がいいのだ
だから、本来描かないといけない家族らを無視したとどつまにある種の矜持を感じざるを得なかった。
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